弔辞

 松岡正巳先生のご霊前につつしんでお別れの言葉を申し上げます。

先生はラ・サール学園の一期生であり、多忙な開業医の生活の傍ら、昭和45年にいち早く鹿児島ラ・サール学園同窓会大阪支部を山田弁護士とともに立ち上げられ、我々後輩を力強く導いてくださいました。私も大学入学以来、大学も同窓、医師会も同じ城東区ということもあり、30年にわたり、松岡先生の御指導を賜り、一人の医師として、人間として、先生の生き様に触れ、多くのことを学ばせていただきました。
 先生は大阪大学大学院では薬理学を専攻され、雑誌ネイチャーに原著論文が掲載されるなど、少壮気鋭の学者として、活躍されておられましたが、開業を決意され、昭和40年に城東区に診療所を開設され、現在に至るまで地域医療に邁進されてこられました。同時に医師会活動に積極的に取り組まれました。平成4年から6年までの城東区医師会会長在任中に、訪問看護ステーションの開設、医師会による24時間連携体制をスタートされるなど、開業医による在宅医療体制を構築することに努力されました。これらは今も我々の診療活動の大きな支えとなっています。
 先生が構想された医師会による24時間連携体制は、平成12年に連携体制加算(3)として診療報酬の中で点数化され、城東区医師会の名を大いに高める事となりました。
 会長退任後も議長として、医師会活動を支えながら、診療所と医師会のIT化に積極的に取り組まれ、ついにはパソコン伝道師として、全国の医師会での講演活動、メーリングリストでの交流を通じて、全国に多くのお仲間を作られることになりました。
 先生は、常に現実を肯定し、まっすぐに前を見て何事にも全力で取り組みつつ、その努力をいつも楽しんでおられました。ゴルフでシングルを達成され、ITに熱中されていた先生が、次にどんなことにその情熱を傾けられるのかと思っていた矢先の今年4月、ご自身が肺がんであることを、ネット上で公開され、先生は最後の情熱を肺がんとの闘いに向けられることとなってしまいました。肺がんとの闘いにおいても、先生は全力でがんにと向き合いつつ、現実をまっすぐに受け止め、最後の死に様まで、自分らしさを貫かれました。

 先生の見事な闘病生活を支えたものは、常に傍らにおられた八重子夫人の献身と全国のお仲間の励ましであったことは申すまでもありません。先生のあまりにも早すぎるご逝去は残念でなりませんが、あの穏やかな眠っているようなお顔を拝見すると、先生は、精一杯この世を生きた、次はあの世とやらを探検してやろうと思っておられるようにしか見えません。
 先生がこの世に残された多くの活動は、日本中の多くのお仲間とともに我々が引き継いでまいります。素晴らしい生き様をわれわれに示してくださった先生に最後に、ありがとうという言葉をたむけてお別れの言葉といたします。

 松岡先生、長きにわたり我々を導いてくださいました、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。

平成16年12月31日                堤俊仁

 

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